久木田紳吾選手(=くきたしんご)が注目されています。
東大卒としては初めてのJリーガー(プロのサッカー選手)となり活躍が期待されていたのですね。
となれば、出身中学校や高校が気になるのは当たり前だと思います。
久木田紳吾選手の将来の話について、注目が集まっています。
さっそく調べてみました!
スポンサーリンク
Contents
久木田紳吾の引退後の進路や就職先
【東大初Jリーガー 決意の瞬間】https://t.co/u8hPSz8jH6
東大在学中に特別指定選手としてJ2のファジアーノ岡山でプレーし、東大初のJリーガーとなった久木田紳吾さん。「前例なき挑戦」を決意した瞬間とは。
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) July 9, 2020
東大卒業後から、Jリーガーとして活躍されていた久木田選手ですが、31歳で現役を引退されました。
久木田選手の、プレーヤーとしての年譜などは後程まとめるとしまして、引退後はどうなるの?
引退後の身の振り方も注目されていたのです。
2019年末に、引退発表がありまして、2020年の4月には新就職先へ就職されています。
久木田紳吾の新就職先はSAPジャパン
SAPジャパンというのは、一般には耳慣れない企業名という気がします。
しかも、久木田選手が過去の所属していたチームの1つが『ザスパクサツ群馬』だったのも混乱の元だったようです。
『ザスパクサツ』のフロントに入ったりしたんじゃないのかしら?
そんな風に勘違いされた人もあったようですね。
いえいえ、違います!
SAPジャパンというのは、サッカーとはほとんど無縁の、簡単に言えば『IT企業』になります!
SAPジャパンとは…
企業向けの基盤システム(Enterprise Resource Planning:ERP)のパッケージ販売をしている会社です。
要するに、企業内でのイントラネットのベースとなるソフトウエアを丸ごと製造・販売している感じですね。
そして、SAPはヨーロッパでは最大級の大手のソフトウエア会社になります。
ビジネスソフトウエアの売上高で世界4位にランクされている、ドイツのSAPの子会社の1つがSAPジャパンとなります。
(SAPジャパンは、SAPの日本法人ということで、『コカ・コーラ ジャパン』みたいなものでしょうか?)
と詳しく書きましたが、久木田紳吾選手は、サッカーとは全然違うITの会社に就職されたことになります。
おめでとうございます!ということになりますが、これも久木田選手が東大卒という肩書・実績をお持ちだからということになりそうです。
今後の躍進に期待ですね。
スポンサーリンク
久木田紳吾の出身中学・高校はどこなのか?
久木田紳吾
4years.編集部から昨日7月8日の注目記事をご紹介します。
「大学サッカー – サッカーと勉強だけの東大時代、忙しくても後悔したくなかった 久木田紳吾2 」https://t.co/yZ1selRjQH— 4years. (@4years_media) July 8, 2020
出身地 | 熊本県熊本市 |
生年月日 | 1988年(昭和63年)9月24日 |
ジュニアユースチーム | 熊本YMCA FC |
出身高校 | 熊本高校 |
出身大学 | 東京大学工学部 |
所属チーム歴 | ファジアーノ岡山(2010~2017) |
松本山雅FC(2012 期限付き移籍) | |
ザスパクサツ群馬(2018~2019) |
※ 出身中学校を知りたかったのですが、ネット上には情報がありませんでした。
得られしだい、また追記していく予定です!
特に、ザスパクサツ群馬ではJ2昇格に大きく貢献がありました!
久木田紳吾選手のスポーツ歴をまとめると
久木田選手はもともと、スポーツが大好きな少年だったようです。
お父さんが小学校のバドミントンの顧問をしていた関係で、バドミントンに取り組みます。
それ以外にも休み時間には、サッカー、バスケット、キックベースなど…
生活にスポーツがあふれていたという状況だったようですね。
小学校3年生のときに、友人から誘われて、熊本YMCAのジュニアユースのチームに参加します。
ここから、サッカーひとすじの生き方になっていったのですね。
中学校に入ってもユースチームとはかかわり続け、全国大会に出たこともありました。
高校進学は、熊本のサッカーの名門校(熊本 大津高校)にするか、成績が良いので普通に進学校へ進むか大いに迷われたようです。
ですが、この時点では「サッカーの名門校に進んだら、埋もれてしまうのではないか?」という思いが強かったようです。
ということで、熊本県内屈指の進学校である、熊本高校に進学することになりました。
久木田紳吾が東大に照準を定めるまで
熊本高校に入学したころは、全体での成績は中より下(平均以下)ということで、東大進学どころではなかったようです。
ですが、サッカーの傍らで勉強にも打ち込み、成績は徐々に上向きになっていったと言います。
東大を具体的に意識し始めたのは高2の夏にオープンキャンパスで東大を訪問した際のことのようです。
東大は、理系ですと理Ⅰ・理Ⅱ・理Ⅲと入学時には大まかに方向性を決めておいて、3年時に進路を振り分けます。
(いわゆる『進振』制度があるのですね)
高校卒業時に久木田選手は、まだ将来なにをやりたいというビジョンが見えていなかったとのことです。
将来の目標が決まっていなかった久木田選手は、専門選択を少し先延ばしにできる東大が魅力的に見えたと言います。
その後は、ひたすらサッカーと勉強の日々となり、高2の頃からは「ほとんどテレビを見た記憶がない」というほどの打ち込みよう。
久木田紳吾選手の東大合格の秘訣は?
久木田選手は、ひたすら独学にて勉強をする、というスタイルで自分の学力を向上させていきました。
各種の予備校・塾などを利用することなく、自分で計画を立てて実行するというスタイルを貫いていました。
高校のサッカーを引退して受験勉強に集中していた時期は1日9時間は机に向かっていたと言います。
もともと理系が何となく好きだったから、という理由で選ばれたのですが、東大はさすがに全国の秀才が集まるところ。
久木田選手はその学力も、かなりの質の高さを手に入れていたのだと思います。
東大卒業時は、サッカー選手になれなかったケースを考えて、東大大学院に進む勉強もしておられたとのことです(スゴイ!)。
新天地でも、Jリーガーだった実績を生かして、新たな実績を重ねられることを期待してやみません。
まとめ
東大卒 初のJリーガー久木田紳吾選手についてまとめました。
- 引退後の収束先は、ヨーロッパで大手のシステム開発・販売企業の関連会社になるSAPジャパンでした。
- 出身中学校については、情報がありませんでした。
- 出身高校は、熊本高校で、東大工学部に進まれます。
- 卒業の頃は、大学院進学も視野に入れていたということですね。
- ファジアーノ岡山から、期限付き移籍で松本山雅FCを経て、ザスパクサツのJ2昇格に貢献されました。
会社職員としての将来を期待してやみません!
スポンサーリンク
コメントを残す