藤井菜々子の出身小学校・中学・高校はどこ?コーチやトレーニング方法が凄い!

藤井菜々子選手は、競歩のオリンピック代表選手で知られるようになりました^^.

気になる出身 小学校・中学・高校の情報を調べて書きました!

そして、藤井菜々子選手のコーチ(スゴイ!)やトレーニング方法なども調べてみました。

藤井菜々子の出身小学校・中学校・高校を調べてみた

出身中学校 那珂川北中学校
出身高校 北九州市立高校
所属先 エディオン陸上部

藤井菜々子の出身小学校は?

藤井選手は、福岡県の那珂川市の出身になります。

那珂川市には小学校が7つありまして…

南畑小学校、岩戸小学校、
岩戸北小学校、片縄小学校、
安徳小学校、安徳北小学校、
安徳南小学校
ですね。

ということで、絞り切れませんが、この中のどれかにあたる可能性が高いです。

小学校3年生から陸上競技を始めたと記録にあります。

中学校と小学校の学区を調べましたが詳細はわかりませんでした。

藤井菜々子の出身中学校は?

藤井選手は、那珂川北中学校出身です。

中学校の時、日原先生の下に全国大会を目指して練習していた、という記載がありますね。

全日中(=全日本中学校陸上競技選手権大会)が目標ということで、かなりハードルを上げて練習していたということがわかります。

那珂川北中学校時代は、中長距離の選手でした。

陸上競技にとりかかった最初の時期は、走る競技の選手だったのです。

ところが高校に進学した時に、ケガをして競技種目を変更するに至ります

藤井菜々子の出身高校は?

藤井選手は、北九州市立高校1年で足のケガをしてしまうのですが、これが競歩への転向のきっかけになります。

北九州市立高校2年の5月から、リハビリを兼ねて競歩を始めることになります。

そしてなんと!驚くことにわずか3カ月の集中トレーニングのおかげで、インターハイで優勝してしまう快挙を成し遂げてしまいます!

ご本人は「毎日の練習を大切にした成果だ」と書いておられますが、インターハイの優勝はダテじゃない!と思いますが、いかがでしょうか?

もともと、中長距離で練習をしていたので、一般的な競歩の選手よりは、心肺機能が鍛えられていた可能性はあると考えます。

ですが、競歩の何とも言えない、クネクネとした感じで進むフィーリングはなかなか一朝一夕では掴めないのではないかと思います。

やはり、才能のようなものを強く感じるのですが、いかがでしょうか?

藤井菜々子の経歴はどうなっているのか?

当然、インターハイ優勝者となりますと、あちこちから勧誘の手がたくさん伸びることになります。

日本の場合、大学か実業団かということになりますが、競歩の場合は大学に進学してチームに入るという選択肢は、競歩の場合は可能性が少ないですね。

(ランニングですと、男子は箱根駅伝ですとか、女子は女子駅伝などの大学チームで一段練習を積むということがプラス経歴にはなりますが…)

ということですが、九州の福岡県出身の藤井菜々子選手は創業の地が中国地方の広島になるエディオン(元会社の1つが広島のデオデオ)に所属することになります。

エディオンの陸上部は女子駅伝のチームがベースになり、100Mハードルの選手が二人と競歩の藤井菜々子選手という構成ですね。

ですが、オリンピックに出場が決まっているのが藤井選手ということで、最も出世しているのが藤井菜々子選手ということですね。

競歩も駅伝のお手伝いをしたり、長距離の選手が競歩の応援をしたりとチーム内で持ちつ持たれつの関係にあるようです。

仲の良い応援関係で、藤井選手も内面でチームメイトに支えられていると思います♪

藤井選手は、北九州市立高校を卒業後、実業団に入って2年目の20歳なのですが、チーム内では一番期待されている選手ということになりそうですね。

藤井菜々子選手の驚きのエピソードとは?

調べていて、藤井選手の驚くべき経歴が出てまいりました。

高2の夏に3カ月の練習ながら、インターハイで女子の5000m競歩で優勝する話は既に書きました。

ところが、その冬に大変な大役が藤井選手に任されることになります。

競歩でも、オリンピックの代表になれる確信がないということで、藤井選手はなんと駅伝の練習(長距離走の練習)もしていたというのです!

(オリンピックの競歩は女子は20キロになるので、5キロのインターハイで優勝できたからと言って、東京オリンピックの代表になれるかどうか確証がなかったのですね)

しかも高2の冬に、エース区間の1区を担当する3年生が故障したために、2年生の藤井選手が臨時に1区に起用させられるのです!

(北九州市立高校の当時の監督だった萩原監督も、かなり思い切ったことをしたものですね!)

福岡県の県予選での出来事ですが、にわかに起用が決まった藤井選手は区間で3位に力走します。

高校駅伝の全国大会には、各県1校しか出場できませんので、総合的には筑紫女子学園高校が上回り北九州市立高校は全国大会には出場できなかったのです。

ですが、藤井選手はランニングでも非凡な成績を残すことが記録に残っていることになります。

この経験と実力が、競歩に専従したあとも、恐らく役立っているのではないかと想像されるのですね。

かなり、心肺の機能が高く競歩の選手としても、突き抜けたものが備わっているのだと思います。

そして当然!高3もインターハイで優勝することになるのでした!

連覇した高3の時は大会新記録での優勝となります。

藤井奈々子のコーチは誰?

藤井奈々子選手の中学校時代のコーチは日原先生という人ですね。

高校時代の指導者は、萩原知紀監督になります。

萩原監督が、藤井選手に競歩の扉を開かせたということでよいでしょう。

エディオンでの監督は沢栁厚志監督でコーチは大島健太コーチが担当しておられるようです。

男性監督が続いていますが、沢栁監督・大島健太監督は笑顔が素敵な感じで、藤井選手がいい環境で練習に取り組めている感じがします。

藤井奈々子のトレーニング方法は?

藤井選手となると、高校時代にランニングの選手だったのですが、高1の2月に左の脛骨を疲労骨折するハプニングに見舞われました。

そこで、リハビリを兼ねて競歩に取り組むことになったのです。

回復期のトレーニングとしては、30分くらいのウォークの後に、軽く筋トレなどの補強練習をするようなものだったようです。

競歩の練習をみていた萩原監督が「競歩で行けるんじゃないか?」と言ったりしたのですが藤井選手は、自分ではランニングに戻りたい意思があったようです。

たまたま北九州市立高校の部内にも3000mで速い人がいたため、萩原監督の競歩へのすすめもありました。

とりあえず県大会に出ようということで北部ブロックの予選に出場したところ初レースが2位(25分28秒76)

2週間後の県大会が24分17秒23であっさりと優勝してしまいます。

藤井選手は、競技中にタイムを計算しながら歩くという独自の方法をとり、またランニングで心肺機能を鍛えていたので、体力には自信があったといいます。

(本人が「長い距離になればなるほど、後半をあきらめないしぶとさが自分にはある」と後年インタビューに応えておられますね)

高2の冬は、3年生の一人がけがで駅伝に出場できないアクシデントがあり、今度はランニングに戻ります

いつかはランニングにもどれるのではないか?という、ある程度の『未練』のようなものが、かえって良かった感じがあります。

要するに、競歩がメインなのですが、ランニングも並行してやらなくてはならない環境が一段と、成長を速めた感じがありますね

その後の藤井奈々子はどうなった?

2018年には、東京オリンピックを視野に入れた『ダイヤモンドアスリート』に選ばれてナショナルトレーニングセンターを使えるようになりました。

ダイヤモンドアスリート
将来が期待される若手選手の中から認定されるポストですね。

陸連の指導者もサポートに加わるなど一段と体制が整ってきているところです。

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まとめ

藤井奈々子選手の出身小学校は、
那珂川市内の小学校
とみられ、
中学校は那珂川北中学校
高校は北九州市立高校でした。

主な競技歴は、
高2・高3と競歩女子5000mで
優勝したこと

ジュニア時代には大きい経歴です。

コーチは、
中学校が日原先生、
高校は萩原知紀監督、
エディオンでは沢栁厚志監督と
大島健太コーチ
でした。

独自のトレーニング方法ですが、
ランニングをやりたかったものの
けがのリハビリで競歩もはじめ、
ランニングと競歩を両立して
行っていた
ようでした。

将来がとても楽しみな選手
いうことが言えるのではないかと
思います☆

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