三上紗也可の出身中学や高校・大学はどこ?記憶障害とコーチが気になる!

三上紗也可選手が話題になっています!

気になる三上紗也可選手の出身中学校・高校・大学の情報を集めました。

そして、練習中の事故にて記憶障害になるアクシデントってなんだったのか??

三上紗也可選手選手をオリンピック出場まで育て上げたコーチについても書きました!

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三上紗也可の出身中学・高校・大学について

出身小学校 義方小学校or住吉小学校
出身中学校 後藤ヶ丘中学校
出身高校 米子南高校

三上紗也可選手の出身地は、鳥取県米子市になります。


三上紗也可選手は小学校2年生から飛び込みの競技を始めています。

小学2年生の時に学校で配布された『飛び込み教室』の案内書がきっかけで飛び込み選手の道を歩くことになりました。

後藤ヶ丘中学校に進んでおられる三上選手ですが、後藤が丘中学校の校区の小学校は義方小学校と住吉小学校の2校です。

三上選手は、このどちらかの小学校の出身者であり、小学2年から米子ダイビングクラブに所属していました。

小学4年生から米子ダイビングクラブの安田千万樹(ちまき)コーチに師事することになります。

後藤ヶ丘中学校時代は、腰痛に悩まされていてやや伸び悩みの時期にありました。

しかし、高校時代に大きく花開くことになります。

米子南高校の1年生の時にインターハイで優勝を果たします。

2017年には3メートルシンクロ板飛び込みで宮本葉月選手といっしょに出場して優勝します

2018年にはジャカルタで行われたアジア大会で女子3メートル板飛び込みで4位となり、また宮本葉月と出場したシンクロ板飛び込みで5位入賞を果たします。

この年の9月に日本選手権で3メートル板飛び込みで初優勝し、翌年の世界選手権で5位入賞し、東京オリンピックの日本代表選手に内定します。

三上紗也可選手の経歴をまとめると…

出身中学校 後藤ヶ丘中学校
出身高校 米子南高校

高校卒業後は、大学の飛び込み競技の名門の水泳部や実業団にすすむものとみられていました。

しかし、三上選手は意外な選択をすることになります。

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三上紗也可はどこにも進まず”浪人”となる

しかし、三上選手は大学にも実業団にも進まず地元の鳥取にとどまり、練習を続けてゆきます。

この後、オリンピックなどの大きな大会があるのに、ちょっと良い度胸だな!と自分は思ってしまいました。

協会ほかから財政的に支援を受けられるのかもしれませんし、お金の面ではあまり心配しなくてよい環境なのかもしれません。

そして、地元の鳥取にはかなり良い練習環境が整っているのもあるのではないかと思います。

米子ダイビングクラブにはコーチもきわめて優秀で、競技に集中できる環境があることが大きいように思います。

米子市東山地区にある、鳥取県営東山水泳場がホームグラウンドになり、かなり恵まれた環境にあるようです。

昭和57年の鳥取県の『わかとり国体』の時にダイビング用のプールが新設されたのですね。

国体の準備ということで、飛び込みの選手を急募する感じだったのですが、優秀な指導者も招へいしたのでした。

良い環境からは、たくさんの有名選手が巣立ちましたし

三上選手はユース大会で2種目で優勝し、国際大会で実績もあげているのです。

これが、三上選手に鳥取にとどまらせた大きな理由だと思います。

三上紗也可の記憶障害について

三上選手の記憶障害には、なんと17針も縫う大けがが原因なので驚きます!

やはり高いところから落下する競技だけに、ちょっとしたすれ違いでも大事故につながるのが難しいわけですね。

2018年の合宿にて練習中に、飛び板に後頭部を強打する事故があったのです。

いや~大変ですね、飛び込み競技も!

(こんなお話があるので、当日の少しの油断で大事故につながる可能性のあるスポーツは私、あまり好きではないのです)

緊張したら、とても競技どころではありませんからね^^。

何しろ、コーチの人が責任を感じ、三上選手のご両親に指導の辞退を申し入れるほどになったようです。

単なる物忘れ(=健忘症)にとどまらず、5分おきに記憶がなくなるという、かなりまずい状況にもいたったということです。

(これは、たいへんですね!)

ですが、三上選手はなんと1カ月で練習に復帰してしまいます。
(ス、スゴイですね…)

鳥取県も、同情したわけではないと思うのですが合宿費用などを支援することになり、結局 どこにも所属せず現役続行となったようですね。

ということで、10代のうちに三上選手、たいへんな目に逢われましたが、オリンピックには何とか間に合ったようですね。

三上紗也可のコーチ陣がすごくて…

鳥取というと、何となく過疎が進んでいるローカルという

(いやこれは、全国的なイメージとしての)雰囲気なのですが…

飛び込みのことだけ考えると、実は先進地域のようなので、ちょっと意外な感じがするのですね。

先にも書きましたが、昭和57年のわかとり国体の際に、鳥取県が東京から招へいしたのが安永三郎さんで、安永三郎さんの元から国際選手が何人も出たのです。

宮本基一郎・幸太郎兄弟がそれにあたり、90年代の日本の飛び込み界を大きくリードします。

また、安田千万樹選手も国際大会でメダルを獲得した経験のある世界レベルの競技歴を残します。

安田さんは2014年には、日本代表のジュニアチームのヘッドコーチも務められますが、安永三郎さんの秘蔵っ子の一人になります。

(安田さんが、三上紗也可選手の現在のコーチになります)

そして、安永三郎さん、宮本兄弟、安田千万樹さんが今日の米子ダイビングクラブで指導されているのですね。


これだけのスタッフ陣があったら、もう変な大学へ行かなくても(失礼!)競技が続けられるというものですね。

スポーツってものは、一見すると楽で優雅に見えれば見えるほど実は厳しくて大変、とよく言われます。

飛び込みも一瞬の躊躇が、大事故につながる、ある意味『油断もスキもない』競技ということだと思います。

三上紗也可選手をはじめ、選手は大変だと思いますが、豊富なコーチ陣に託してがんばっておられる様子が感じられますね☆

とにかく、ケガだけは気を付けてもらいたいものです
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まとめ

三上紗也可選手について書きました。

  • 出身中学校は後藤ヶ丘中学校
  • 出身高校は米子南高校でした。
  • 大学は、現在保留中で、鳥取県の財政支援を受け、進学していません
  • 2018年に飛び板で17針縫う重症を負い、記憶障害に悩まされる時期がありました。
  • 三上選手のコーチ陣は、安永三郎さん、宮本基一郎・幸太郎さん、安田千万樹さんが当たっておられます。

10代のうちに大変な事故も経験された三上選手ですが、気を付けて頑張って頂きたいと思います^^。

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2020年3月15日

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